ずるやすみ

演劇集団LGBTI東京に所属するパンセクシャルの理緒のブログです。そういう話もそうでない話も、ぼちぼち更新していきます。

おしらせ

私は、数ヶ月前にあったとある出来事がきっかけで、(後ほど詳しく書かせていただきます。)

電車やエレベーターなどの密室、暗闇、男性と近い距離で話すことに、異常な程恐怖を抱く様になりました。

時には発作が起こるようになってしまい、今まで通りな日常生活をおくることも、今現在、ままならない状況です。

 

つきましては、暫くの間、舞台での活動を休止させていただく事になりました。

 

体調と相談しながらにはなりますが、他の活動はしていきたいと思っています。

 

早く治して、絶対に大好きな舞台に帰ってきます。

よろしくお願い致します。

 

理緒

 

 

ここからは、私自身に起こった出来事、そして症状の話です。

書くことで自分の状況や気持ちが整理しやすいので書いています。

※サクッと書くつもりですが、見て下さっている方のトラウマを引き出してしまう可能性もあるので、その場合は飛ばし飛ばしで読んでいただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

数ヶ月前の朝、父親くらいの年齢の男性に、建物の影に連れ込まれて、体を普通の触られ方じゃない触られ方をされる、顔中や口の中を舐められる、抵抗しても押さえ付けられる等の行為をされました。顔見知りの方だったので、気を許していた私も良くなかったと思います。

 

それがきっかけで、男性に背後に立たれたり、近い距離に立たれることが少し怖く感じていました。

電車は、あの日に泣きながら飛び乗ったのが思い出されるので1人であまり乗りたくないなあ、といった感じでした。

 

そこから段々、今までと同じ通り、日にちが経つにつれ、忘れていくのだろうなあと感じていたのですが、

それとは逆に、段々日にちが経つにつれ、悪夢を見る回数や、フラッシュバックで眠れない、謎のモヤモヤ、謎に涙が出る回数は増えていきました。

何もしたくない、このまま消えたい、と家の中で思う回数も増えました。

携帯で誰かと連絡を取るのも、今の私には「頑張らないとできないこと」になってしまいました。

体力、気力が無いと出来ないことになってしまいました。返事がばちぼこ遅い時あります。というかそれがほとんどかもしれないです。ごめんなさい。

そして、沢山の舞台のお誘いを頂いているのですが、暗転やほぼ密室状態の客席、などがどうしても発作が起きてしまいそうで怖いので、お断りしています。本当にごめんなさい。

 

すごく周りの人のこと大切に思っているのに、それが伝えられないのがしんどい。

たくさんたくさん、遊びたいし楽しいことしたいのに。

 

でも、沢山の人に助けられて、大丈夫だよって言ってもらえて、自分でまだ自分の症状について理解していないのに、許せないのに、許してくださり、理解して下さり、勇気を沢山いただきました。

そして、私が今がんばらないといけないことは、早く治して大好きなここに帰ってくる事。

 

意地を張って、私は正常なのに!!!私が弱いだけなのに!!!

と喚いたり(突然喚いてる時点で正常でも何でもない)泣いたりするのはやめました。

他の、精神的な病と戦っている方には、弱いなんて思わず、むしろ強いなあと感じているのですが、どうしても自分へは手厳しくなってしまいます…。

そこも、ゆっくり自分と向き合いながら、直していけたらと思っています。

 

最後の方は、自分の頭を整理するつもりで書いたのでもうぐちゃぐちゃですが、絶対絶対トラウマぶん殴ってぎったんぎったんにして帰ってきますので、これからもどうぞよろしくお願い致します!!!!!

死にたいきもち。

所属している劇団の本公演が終わった途端にどうした??と思われそうな題名ですが、五月病という言葉がよく聞かれる時期になって、ふと思い出す事があったのでしたためてみます。

「死」について敏感になっている方(周りの方にご不幸があった等)、「死にたい」なんて思うのは絶対に良くない!!と思っている方は読まないようにして下さい。

 

そして読む前に決して自殺をすすめている訳では無いという事前提で読んでください。

 

私は一時期不登校になったことがあります。

今思えば、私にも嫌われる理由はありましたし、しょうもない理由でハブにされていたので、気にし過ぎな面もあったと思います。

それでも当時の私は、理想の自分と現実のいじめられている自分とのギャップや、だんだん悪くなっていく家庭環境、大好きだった演劇を批判された事…色々な事が重なって、次第に「死にたい」と思うようになりました。

今思えば、「居場所が欲しい」だったと思います。

そんな時に読んだとあるブログを、私は未だに読んでいます。

女優の酒井若菜さんのブログです。

 

https://gamp.ameblo.jp/wakana-sakai/entry-10928811312.html

 

当時、私の好きだった部分はココ。

 

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これ本当、私は当時同級生だった人を2人亡くしているんですが、その時感じた気持ち悪さをそのまま書かれている様でソワッとしました。

そして、そんな奴らが周りにいるのに死ねねぇな。と思ったんです。当時ね。

本当の味方なんて居ないと思ってましたから。当時はね!!!本当は居たのよ!!気付いてなかっただけ!!!

 

そしてね、「見返したいから幸せになろう。それが一番の復讐。」なんて思っていたんです。つい何年か前まで。

でもそれってずっと私が憎くて仕方ない奴らのことを考えていなくちゃいけないって事に、気付かなかったんですね。

酒井さんの書かれている考えにまでは至らなかった。

でもようやく、何年も何年も読み返しては泣いて、救われて、私は、他の人に羨ましがられなくてもいい、私なりの幸せを大切に抱き締めていこうって思えるようになりました。

本当に、酒井若菜さんに、このブログの記事に出会えて良かったと思っています。

 

 

でも、昔ついた傷は、次第に進化してコンプレックスになり、時々私は自分で自分を傷付けます。

物理的にではなくて、悪夢を見たり、いいなあ…と他人を僻んだり、考え過ぎで自分で自分を傷付けていると感じるんです。

そんな時、「死にたい気持ち」はひょっこり顔を出します。

誰にも愛されないって、思いながら生きていた数年は、そう簡単には拭えません。

そして、この気持ちは誰かにどうにかして欲しいという気持ちではもう無い。

誰にも見られず安楽死出来るならそれでいい。

この「死にたい気持ち」は、つらかったあの時の「居場所が欲しい気持ち」では無くなった。

死にたい気持ちも、バージョンチェンジするんですね…(´°‐°`)

 

この気持ちは、滅多に理解されません。私は今までの人生で1人にしか理解してもらえてない。まだまだそんなに生きてないけど(笑)

嫌な顔されます。「この子、まだ周りで誰も死んでないのね…。」という顔で見られます。

わざわざ言わんがそんな事ないよ。

夏休み明けの登校日の早朝、電車に飛び込んだりね。

 

周りで誰かが亡くなったら、私はその人の分まで生きよう。と思える気持ちがまず羨ましい。

私なんかが、その人の分まで生きていても、その人は喜ぶのだろうかと考える。それが肉親でも、どんなに仲のいい友達でも、分からない。

 

生きてるってサイコー!!

って言ってる人が素敵で認められるなら、

死にたい、でも這いつくばって生きてる。

って人も認められても良くない?

私生きてるってサイコー!!って言ってる人のこと否定した事ないよね?っていつも思うんだ。バカ正直に話す私がいけないんだけど。

 

だから私は、「死にたいって思ってても良くない?」とは思う。

「死にたい」って意思があるのはすごい事だと思う。上に載せたブログにも書いてあるけど、プライドがまだあるってこと。

死にたいなあ…でも次のライブまでは生きるか…。でいいんじゃないかなって思うんだ。

それが「理緒の次の舞台までは生きるか…」なら最高だし、私の「期待してくれてる人がいるからその人の為に生きるか…」に繋がる。

 

もしかして:共依存   …(^ω^)

 

私、一度予約してくれたお客様の顔と名前は全部覚えているから、共依存出来ますよ(こわい)

 

冗談はさておき、

死にたい気持ちが落ち着いた時、「死にたい」の分析が出来たら私は上出来!にしています。なんで死にたいって思ったのか。死にたい気持ちと向き合う事で、私は私自身と向き合っているのかもしれません。

 

何が正しいとかそういう話ではなくて、そういう生き方をしている人もいるよという話でした。

旅行したり、アニメしたり、そういう娯楽はもちろんストレス発散になるし楽しい。でも、死にたいという気持ちは、あの不登校になった時から私と隣合わせで生きてる。

病んでるとか、メンヘラとか、キモイとか、厨二病とか、思われても、もういいや。

 

そうやって生きてる人もいるから、死にたいって思うことは悪くないよ。

 

「死にたい気持ち」を分析出来れば良いだけ。

どうして死にたいのか、どうすれば収まるかもしれないのか。少し落ち着いたら分析してみて。

 

そしてそれが誰かに頼って収まるかもしれないのなら、思い切って誰かに、信頼していなくてもいい、意外と第三者が冷静に話聞いてくれたりするから、話してみるといい。

自分が納得できる答えが得られるまでいろんな人に話聞いてもらえばいい。

人それぞれ意見や想いはあるんだから、自分に合った答えに、とりあえず耳を傾ければいいのよ。

 

人に会いたくないのなら、本や舞台を見て、主人公に感情移入して、沢山泣いて大切な物を増やすのも良い。

沢山の音楽や芸術ににひたすら溺れるのもいい。

動物に触れ合ったり、山に登ってみたり…。

人間だけが味方じゃないよ。

 

 

「死にたい」と思う時は、あなたが自分自身と向き合う時。

 

それが、今「死にたい気持ち」の人に言いたい事。

 

死んだらどんだけ友達が増えるか、見てみたい気もするけど、そんなくだらない事に使うほど、私の命安くないのかも。

 

そうやって思えたのは、これをここまで読んでくれているあなたのおかげ。

 

ぼちぼちやっていきます。

泥臭く生きててごめんね♡

 

 

わたしのセクシャリティ。

わたしのセクシャリティについて。

パンセクシャルと言ってるけど、自分でもあまり分かってないのが本音です。

実際のところまだまだセクシャルマイノリティについても勉強中。

 

でも最近、「LGBT」という言葉をよく目にするようになって、セクシャルマイノリティの人達のための制度も増え始めた。

その事に対して、どんな感情を抱かれようが、異性以外にも恋愛感情を抱く人がいるということが知られるのはいいことなんだと思っています。

 

「無知」、「無関心」ほど怖いものはありませんから。

 

 

わたしが、女の子を好きになったのは小学校6年生の頃。一番仲の良かったお友達でした。

最初はきっと友達としての好きの延長上。

でも思春期真っ盛りのわたしは、彼女にキスをしたいと思ったり、触れたいと思ったりした。

(それが叶ったかどうかは触れないでおくけど)

 

それでも当時は、レズなんて言葉は知らなかったし、そういう人たちがいることも知らなかった。ましてや、女の子を好きになっている自分になんの感情も抱かなかった。

言い方を良くすれば、それ程彼女に夢中だった(笑)

今では考えられないほど好きな子にべったりだったし、嫌われる!って思ったら所構わず泣いたりした。本当、イマドキの言葉を使えばメンヘラって言葉が合ってたと思う。もし話すことが許されるなら謝りたいくらい…(笑)

 

LGBTという言葉を知ったのは高校生の時。

きっかけは共通の趣味でお友達になったFTMの子の存在。

わたしはその時、自分はBのバイセクシャルなんだと思った。

それから、男の人とも女の人とも、人間として魅力を感じた人と付き合ってきた。

でも、周りには彼氏が出来た時は報告してたけど、彼女が出来た時は報告出来なかった。

ダメなこととは思わなかったけど、言えなかった。隠してた。

そしてこの前、パンセクシャルという言葉を知った。

パンセクシャルは、男の人も女の人も、それ以外のセクシャルの人も恋愛対象になる人のこと。

これだわ!と思った。ストン!と腑に落ちた。

別に名前なんて付けなくていい事は沢山あるけど、

わたしは多分、好きになった人がたまたま女の子だっただけ。なんて聞き分けのいい子のフリをしながら、自分が何者か模索してたんじゃないかって思った。

自分でわたしはパンセクシャルだから!って自分を受け入れてあげて、それで少しでも気持ちが楽になるなら、それでいい。

 

わたしはわたし。あなたはあなた。

男の人を好きになっても、

女の人を好きになっても、

FTMや様々なジェンダーの人を好きになっても、

恋して苦しんだり喜んだりするのは一緒。

 

頭ではわかってても、わたしもカミングアウトは難しい。

どんな反応をされるんだろうって思う。

 

周りのこと、信用してない訳じゃない。

今更周りの目が気になる訳でもない。

 

でも、ちょっと怖い。

 

わたしにとって、セクシャリティを否定されることは、

外見を否定されたり馬鹿にされるのと同じだから。

 

うーーーん。

まあここでうじうじしてても仕方ないよね。

 

まだまだこれから生きていくと、

考え方も変わるんだろうから

気長にぼちぼちやっていきますか!!

 

まだまだ根強い偏見ニモマケズ!

時々訪れる自己嫌悪ニモマケズ!

 

人間らしく沢山泣いて悩んで笑って食べて寝て🌻

健康第一🙆🏼‍♀️💋

 

明日からもにこにこ笑顔で頑張ろ〜!

 

最後まで読んでくれた人ありがとう♡

 

理緒🐱