死にたいきもち。
所属している劇団の本公演が終わった途端にどうした??と思われそうな題名ですが、五月病という言葉がよく聞かれる時期になって、ふと思い出す事があったのでしたためてみます。
「死」について敏感になっている方(周りの方にご不幸があった等)、「死にたい」なんて思うのは絶対に良くない!!と思っている方は読まないようにして下さい。
そして読む前に決して自殺をすすめている訳では無いという事前提で読んでください。
私は一時期不登校になったことがあります。
今思えば、私にも嫌われる理由はありましたし、しょうもない理由でハブにされていたので、気にし過ぎな面もあったと思います。
それでも当時の私は、理想の自分と現実のいじめられている自分とのギャップや、だんだん悪くなっていく家庭環境、大好きだった演劇を批判された事…色々な事が重なって、次第に「死にたい」と思うようになりました。
今思えば、「居場所が欲しい」だったと思います。
そんな時に読んだとあるブログを、私は未だに読んでいます。
女優の酒井若菜さんのブログです。
https://gamp.ameblo.jp/wakana-sakai/entry-10928811312.html
当時、私の好きだった部分はココ。
これ本当、私は当時同級生だった人を2人亡くしているんですが、その時感じた気持ち悪さをそのまま書かれている様でソワッとしました。
そして、そんな奴らが周りにいるのに死ねねぇな。と思ったんです。当時ね。
本当の味方なんて居ないと思ってましたから。当時はね!!!本当は居たのよ!!気付いてなかっただけ!!!
そしてね、「見返したいから幸せになろう。それが一番の復讐。」なんて思っていたんです。つい何年か前まで。
でもそれってずっと私が憎くて仕方ない奴らのことを考えていなくちゃいけないって事に、気付かなかったんですね。
酒井さんの書かれている考えにまでは至らなかった。
でもようやく、何年も何年も読み返しては泣いて、救われて、私は、他の人に羨ましがられなくてもいい、私なりの幸せを大切に抱き締めていこうって思えるようになりました。
本当に、酒井若菜さんに、このブログの記事に出会えて良かったと思っています。
でも、昔ついた傷は、次第に進化してコンプレックスになり、時々私は自分で自分を傷付けます。
物理的にではなくて、悪夢を見たり、いいなあ…と他人を僻んだり、考え過ぎで自分で自分を傷付けていると感じるんです。
そんな時、「死にたい気持ち」はひょっこり顔を出します。
誰にも愛されないって、思いながら生きていた数年は、そう簡単には拭えません。
そして、この気持ちは誰かにどうにかして欲しいという気持ちではもう無い。
誰にも見られず安楽死出来るならそれでいい。
この「死にたい気持ち」は、つらかったあの時の「居場所が欲しい気持ち」では無くなった。
死にたい気持ちも、バージョンチェンジするんですね…(´°‐°`)
この気持ちは、滅多に理解されません。私は今までの人生で1人にしか理解してもらえてない。まだまだそんなに生きてないけど(笑)
嫌な顔されます。「この子、まだ周りで誰も死んでないのね…。」という顔で見られます。
わざわざ言わんがそんな事ないよ。
夏休み明けの登校日の早朝、電車に飛び込んだりね。
周りで誰かが亡くなったら、私はその人の分まで生きよう。と思える気持ちがまず羨ましい。
私なんかが、その人の分まで生きていても、その人は喜ぶのだろうかと考える。それが肉親でも、どんなに仲のいい友達でも、分からない。
生きてるってサイコー!!
って言ってる人が素敵で認められるなら、
死にたい、でも這いつくばって生きてる。
って人も認められても良くない?
私生きてるってサイコー!!って言ってる人のこと否定した事ないよね?っていつも思うんだ。バカ正直に話す私がいけないんだけど。
だから私は、「死にたいって思ってても良くない?」とは思う。
「死にたい」って意思があるのはすごい事だと思う。上に載せたブログにも書いてあるけど、プライドがまだあるってこと。
死にたいなあ…でも次のライブまでは生きるか…。でいいんじゃないかなって思うんだ。
それが「理緒の次の舞台までは生きるか…」なら最高だし、私の「期待してくれてる人がいるからその人の為に生きるか…」に繋がる。
もしかして:共依存 …(^ω^)
私、一度予約してくれたお客様の顔と名前は全部覚えているから、共依存出来ますよ(こわい)
冗談はさておき、
死にたい気持ちが落ち着いた時、「死にたい」の分析が出来たら私は上出来!にしています。なんで死にたいって思ったのか。死にたい気持ちと向き合う事で、私は私自身と向き合っているのかもしれません。
何が正しいとかそういう話ではなくて、そういう生き方をしている人もいるよという話でした。
旅行したり、アニメしたり、そういう娯楽はもちろんストレス発散になるし楽しい。でも、死にたいという気持ちは、あの不登校になった時から私と隣合わせで生きてる。
病んでるとか、メンヘラとか、キモイとか、厨二病とか、思われても、もういいや。
そうやって生きてる人もいるから、死にたいって思うことは悪くないよ。
「死にたい気持ち」を分析出来れば良いだけ。
どうして死にたいのか、どうすれば収まるかもしれないのか。少し落ち着いたら分析してみて。
そしてそれが誰かに頼って収まるかもしれないのなら、思い切って誰かに、信頼していなくてもいい、意外と第三者が冷静に話聞いてくれたりするから、話してみるといい。
自分が納得できる答えが得られるまでいろんな人に話聞いてもらえばいい。
人それぞれ意見や想いはあるんだから、自分に合った答えに、とりあえず耳を傾ければいいのよ。
人に会いたくないのなら、本や舞台を見て、主人公に感情移入して、沢山泣いて大切な物を増やすのも良い。
沢山の音楽や芸術ににひたすら溺れるのもいい。
動物に触れ合ったり、山に登ってみたり…。
人間だけが味方じゃないよ。
「死にたい」と思う時は、あなたが自分自身と向き合う時。
それが、今「死にたい気持ち」の人に言いたい事。
死んだらどんだけ友達が増えるか、見てみたい気もするけど、そんなくだらない事に使うほど、私の命安くないのかも。
そうやって思えたのは、これをここまで読んでくれているあなたのおかげ。
ぼちぼちやっていきます。
泥臭く生きててごめんね♡